漫画けもの道12 大きな運命には抗えない

 会社員兼業をやめ漫画専業になって1年後に会社が潰れました。運命とはそういうものだと思います。自分の考え、努力である程度の違いは作れても、大きな変化には抗えません。例えば雑誌が休刊になる、編集長が交代して作家を入れ替える場合もそうで、前の編集長に抜擢された人は、まとめて切られます。人気連載や看板作家は別としても安泰はありません。色々な経験を重ねて、その時どうするか考えて選択します。その繰り返しです。
 漫画専業になってしばらくは、編集者の企画、注文で占い漫画を描いていました。大手でかけもち、どこも1年後まで予定が決まっているという安定した創作環境を初めて手に入れました。最初に描いた長編の占い漫画が初登場で2位を取ったからです。1位2位でないと扱いが変わらない、というのは本当でした。巻頭1位がほぼ既定ですから、2位はプッシュなしで読者に受けたと評価されます。それで1年先までシリーズで仕事が決まり、原稿料も編集者から上げると言ってくれました。それは占いという人気企画に助けられていた結果でもあります。商業ですから受けないと始まりません。しかし実用コミックとは違い、オリジナルストーリーに占いを取り入れるという形で、特定の占い師の監修はありません。売られている本を参考に、漫画的な誇張を大いに加え面白く描くことが課題でした。占いの広告ではなくオリジナルストーリーでしたから、やりがいはありました。その後また別の会社からも同じ条件で仕事を受けました。数人のアシスタントを使っても生活できました。バブル前後は出版が好調で、大手から増刊や新雑誌が出ていたという幸運にも助けられていました。バブルがはじけても90年代半ばまでは漫画は売れていました。
 しかし、それは長くは続きませんでした。最初に占い漫画を描いた雑誌は休刊になりました。大手の雑誌で、潰れるとは思わなかったので驚きました。その2年後に別の占い漫画のシリーズをやった雑誌が休刊になりました。編集長も異動し、人事は漫画家も含めて刷新されました。前編集長時代に起用された私もですが、同じ頃にそこでデビューした新人、若手は、描く場所を失いました。さらに、別の占い漫画を描いて受けた雑誌も休刊になりました。残っている雑誌にはレギュラーがいて、失業した作家が入れる枠は空いていません。また休刊した雑誌とは編集方針も違います。そこに新たに企画を出してレギュラーと競争して仕事を取るしかありません。やむなくまた別に描く雑誌を探しました。占いの解説漫画なら機会はありましたが、占いに執着はなく、ミステリーの彩りと考えてやってきたので気が進みませんでした。それより占いなしでミステリーを描きたいと思うようになっていたため、ネームを作って営業しました。
 私に圧倒的な人気があれば営業しなくても他誌に抜擢されていたかもしれません。それでも、ギュラーで描いてきた雑誌の休刊は変わらない現実です。他誌で同じ傾向の作品を続けて描くことは不可能でした。色の近い雑誌がありませんでした。連載途中で続けられなくなり、他誌に移って続ける人もたまにいますが、それも受け皿があればの話です。今のようにネットはなく、続けることはできませんでした。
 その頃新規開拓した雑誌に原稿を渡した直後、腕の痛みが尋常ではなく、指が動かせなくなり体調も悪化して休むしかなくなりました。幸いその前に数年好調で、会社員時代の蓄えもあり生活にすぐ困るというほどではありませんでしたが、もって1年程度で、余裕はありません。税金も保険料も容赦なく前年度の所得を元に請求されますし、奨学金の返済もあります。完全に働かないというわけにいかず、右手に負担のかからないバイトと貯蓄の取り崩しで生活していました。しかし治る見込みがあるわけでもなく、仕事は切れたままで、やる気がないと見放されていたと思います。心理的にはどん底でした。そういう時のための貯蓄は欠かせません。お金を使わず貯めていたことが幸いしました。