漫画けもの道11 極限状態の兼業生活

 会社員と漫画家の兼業生活は思ったよりきついものでした。募集時の説明通り、ほぼ9時5時の勤務でしたが、掃除は毎日新米の私の担当で遅くとも15分早く出社しないといけません。そして帰りも掃除とゴミ集めをし、ゴミを出してから帰宅します。また、やはり時には残業もあります。問題はそれ以上に通勤時間が長かったことです。面接の時は昼間で1時間半かからずに行けたのですが、ラッシュアワーは乗降に時間がかかり混雑します。道路は渋滞しバスも遅れます。混雑する時間帯には1時間45分、天気が悪いと2時間かかります。そしてもちろん、座れません。会社の仕事は一般事務と秘書的業務を兼ねたもので、きつくはありませんがミスはできません。緊張して働き、帰宅するのに立ちっぱなしの2時間は疲れました。朝のラッシュはもっとひどく、押しつぶされて死ぬかと思う混雑でした。通勤地獄とはよく言いました。その上帰宅してから漫画描きです。勿論時間が足りず、締切り前は徹夜になりました。徹夜して原稿を送りラッシュアワーの通勤地獄で立ちっぱなしで、出社すると掃除、デスクは丸見えで隠れて居眠りもできず、背筋を伸ばして仕事です。締切り前は、3日間、一睡もせずに働く羽目になりました。漫画家だけなら締切明けに爆睡できますが、会社員兼業では寝られないままさらに1日仕事です。これを覚悟しないといけません。考えたつもりでも、甘いところがありました。
 その時期に限って、奇妙な現象が続きました。テレパシーと言われる能力が身につきました。徹夜してフラフラで電車のつり革につかまっている私の耳元で「東十条」と囁く声が聞こえます。斜め前に座って寝ている女性の声だと、なぜかわかりました。そこで降りるという意味です。私は半信半疑で移動して彼女の前に割り込むようにして立ちました。すると彼女は本当に東十条で降りたのです。私は空いた座席に座ることができました。また別の時は、初めて会った編集者の印象が悪く話が合わないので、仕事にならない、やめて他へ行こうと思っていましたが、夢にその人が出てきて、しきりに催促するのです。そこで、ちょうど作っていたネームを送ると即採用、その後順調に仕事ができました。慣れると打ち解けてやりやすい人でした。まだあります。どうしてもやる気になれない仕事があったのですが、夢に編集者が出てもういいと言うのです。非常にリアルで、やらなくていいのかなと思っていたら、3日後に同じ人が、もういいと、夢と同じ声で言ったのには驚きました。そういうことが時々あり、常に助けてくれました。休めるように、お金がもらえるように、少しでも楽になれるように、ガイドしてくれているようでした。それは声として聞こえることが多く、時には絵で見えることもありました。目の前に、ポンと少し先の光景が見えるのです。最初は戸惑いましたが、やがて予知能力のようなものが働いているのを意識するようになりました。この現象は、無理な兼業をしている時に起き兼業をやめるとなくなりました。それでも以前よりカンが働くことは変わりません。今考えると、心身共に極限状態の時に、生命を守るために通常必要ない能力を発揮できたのかもしれません。そうした話を受けつけない人に押しつけるつもりはありません。偶然勘が働いた、と理解して下さい。以後、必死で生きようとしている自分の体を自ら傷つけてはいけないと心しています。 
 無理な兼業をしながらも、精神状態は以前より安定しました。ただ、漫画がなければ9時5時のルーティンワークで、その先の見通しは何もありません。どうしても漫画は続けたいと思っていました。そして、幸運にもショートの連載の仕事が決まりました。読切の仕事も従来通りです。その時私は思い切って会社を辞めました。当時はネットはなく、小さな修正はFAXでしていましたが、企画は会って打ち合わせしていました。その時間が取れず、兼業は無理でした。編集者は心配しましたが、1年後会社が倒産し、どの道私は漫画を描くしかなくなっていました。
 兼業で漫画を描くなら、通勤も計算して勤め先を選んで下さい。これが私の得た教訓です。